縁をつなぐもの アグリキュレーター 多田 誠
 事業を始めようと思ったとき、多田さんには是非手伝ってもらいたいと思っていたデザイナーがいた。彼は中学時代の親友だった。その友人が倒れたという知らせを受けて、病院へ訪ねていったのが2011年10月。
 「入院している彼に仕事を頼むのも心苦しいなとは思ったんですけど、やっぱり一緒にやりたかったんですよね。彼は僕の無茶な申し出を快諾してくれたので、言ってみるものだと思いました」
 病院を訪ねながら多田さんは友人と議論を重ね、「アグリキュレーター」という肩書きを新たに作ることにした。日本の農業を新しい技術とノウハウを使ってデザインし直す、という仕事だ。まずは名刺を作ろうという話になったとき、その友人が突然「活版印刷で作ろう」と言い出した。「天からイメージが降ってきた」という、不思議な思い入れで活版と言い切る友人を前に、多田さんはとても驚いた。実は多田さんの祖父母が、昭和53年まで八丁堀で活版の印刷工場をしていたのだった。
 「その工場は戦争で一度取り壊しにあい、戦後また八丁堀で再開したのですが、うちが活版印刷屋だったこと知ってたっけ?と僕は友人に思わず聞き返しました。もちろん知らないという返事がきましたが。すごい偶然だなあと、その時はシンプルに思ってました」
 担当者に都内の活版印刷屋を探してもらったところ、東銀座の中村活字という印刷工場を紹介された。そこは100年以上活版に携わってきた老舗だった。東銀座と八丁堀で距離も近いことから、多田さんはお母様に「中村活字を知って
いるか」と訪ねてみた。するとびっくりする答えが返ってきた。
 「母がよく知っていると言うんですよ。八丁堀に印刷工場があった頃、中村活字と親しい間柄だったそうなんです。さらに驚いたのは、戦時中、男達が兵隊に取られて空いた中村活字の家にご家族と一緒に住んでいて、工場の一部を間借りして印刷屋を続けていたのだと。これを縁と言わず何と言ったらいいのでしょう。値段の高い安いではなく、ここで作ることに一発で決めました」
 多田さんは中村活字を訪問した。そこで店主に不思議な縁の話をすると、当時をよく知る方がご存命とのことで出てきてくださった。御年92歳の中村トミさん。張りのある声ではっきりと喋るトミさんは、当時のことを際限なく話してくれた。多田さんはその話を聞きながら、祖父母の印刷工場を訪ねた時の匂いを懐かしく思い出した。100年以上もそこに佇んでいる建物。空襲からも生き残り、周りがどんどんビルに変わっていくなかで守り続けている活版の現場。まさに自分のルーツを辿った時間だった、と多田さんは言う。
 「アグリキュレーター」という第二の人生が始まるときに、背中をぽんと押された気がした。こんな風に、農産物と消費者の間にある縁を結んでいけたら。縁を結ぶことで、新しい農業の形を作っていけたら。そんな思いを持ちながら、多田さんのTADAは幕を開ける。
   (文:松下祥子 写真:竹下雅哉)