中村活字を見つけてきてくれた竹下さんの故郷に、「秘仏」の美術館ができると多田さんが聞いたのは、春まだ早い3月のことだった。そこに大変古くて立派な仏様が二十四体あって、里人たちの手で密かに守られてきたという。その仏様たちを広く一般に公開する美術館が、二十一世紀の今になってようやく開館するのだった。渡された一枚のチラシには、炎のような顔をした仏様の横に、「かんなみで、待ってます。」というコピーが添えられていた。「週末には農産物の直売イベントもやるかもですよ」という竹下さんの言葉にも惹かれ、ちょっと仏様を見に行こうかと軽く思ったのが、多田さんが美術館に足を向けたきっかけだった。
 竹下さんのご実家がある静岡県函南町は、ちょうど伊豆の根っこにある。そこへ向かう東海道本線の車窓から、広い海が見えた。こんなにゆっくりと海を見るのは久しぶりだな、と多田さんは思った。函館で生まれ育った多田さんには懐かしい景色であり、波音まではっきりと聞こえる気がした。
 伊豆は多田さんのお母さんの「第二の故郷」でもある。多田さんの曾祖父母が伊東市の宇佐美という場所にいて、戦時中、八丁堀にあった中村活字の工場に住んでいたお母さんが、戦後しばらくそこに居を移していたのだった。
 相模湾の明るい光がお母さんの視線と重なるようで、眩しく仰ぎ見ているうちに列車は函南駅へと着いた。外に出ると初夏のような陽気で、目の前には鬱蒼とした森が広がっていた。駅から小山を越えていけば、歩ける距離に美術館がある。散策がてら、のんびり歩いていこうかと多田さんは思った。
 函南駅から東海道本線と新幹線の線路をくぐってしばらく歩くと、左手に小学校が見えてくる。そこをぐるっと回りこんで細い道に入ったら、山越えが始まった。
 この山にある杉やブナは、樹齢にすると数百年は下らない大木もあるという。伸び放題の竹林もそこに混じりこんで、伊豆の強い
太陽のもと樹勢を増している。風に枝を揺らされた樹々が盛大に葉音を立てるなかを、少し汗ばみながら心地良く歩く。こんな道を、遠い昔に何度も歩いた気がした。里山に来ると、記憶の底をさらわれるような不思議な気持ちになる。
 ふいに見えてきた一本の川を超えると、駅から四十分は歩いただろうか、やっと目指す美術館についた。近代的な建物に収められた目当ての仏像群は本当に素晴らしかった。圧巻、崇高、荘厳、あらゆる賛辞の言葉が胸に溢れた。だが、と多田さんは思った。
 本当にこの仏像の造作の美しさだけに、
自分は心を動かされているのだろうか。
 帰り道、しゃがみ込んで小さな畑を手入れする老人の姿を度々目にした。
 あの仏様は、余所者の目を遮りながら、里人たちに守られてきた「祈り」の形ではないかと多田さんは気づいた。自分が立った仏の前に、どれだけの里人が同じように立って祈りを捧げただろうか。人々はこの地を耕し、ささやかな実りを糧として、土地に根ざした仏様に豊穣を祈りながら集落を保ってきた。そんな小さな里が、日本中の至る所にあって、私たちの「ふるさと」の情景を織り成しているのかもしれない。
 遠く離れた場所にあるのに、この里に立って思い起こすのは故郷の函館の記憶だった。母もこの伊豆の地で、同じ思いを抱いただろうか。そう思うと、急に胸が熱くなった。海や川、樹々や畑、風の音、土とともに働く手。それは幻想の景色かもしれないが、多田さんの心の奥底に触れて、強い感情を呼び起こすのだった。
 結局、当初の目的のひとつだった農産物直売イベントには出会えなかったが、もっと大きな収穫を得た気がした。
 この日本の風景を守りたい、と多田さんは思った。古くからある小さな里を、めまぐるしく変化する現代に耐えられるよう変えながら、変わらない姿で守っていけたら。
 農を守るということは、里を守るということでもある。多田さんには、自分の行く道がもうひとつ、見えた気がした。

     (文:松下祥子 写真:竹下雅哉)