•  埼玉県比企郡小川町は、池袋から東武東上線に乗って1時間ほど行ったところにある。待ち合わせは小川町駅で朝10時。今日は多田さんが畑を借りている「霜里農場」という所を見学するために来た。駅の改札を出ると、先に着いていた多田さんが、朝から爽やかな笑顔で立っていた。
    
     駅からほどなく、目指す農場が見えてきた。というより、山間のぼんやりした風景のなかに、小さな畑や牧場が密集した、一風変わったコロニーがこつ然と現れた。主宰の金子美登氏が長い年月をかけて創り上げた、自給自足の農場だ。NHK 「プロフェッショナル・仕事の流儀」にも登場したことがあるので、ご存知の方もいるかと思う。
  •  ここは小さな循環型社会だ。田んぼには合鴨が泳ぎ、出来たワラは畑のマルチ(雑草や水分の蒸発などを防ぐために使われるカバー)として使われる。採れた野菜はカフェの料理となり、そこで使った食用油はバイオ燃料として農機具を動かす。
    多田さんはここに畑を借りていて、
    今日はトマトの脇芽かきに来たのだった。「他には緑茄子、ししとう、落花生、安納芋を植えています」と、畑に屈みこんで話す多田さんは笑顔だ。この農場に立つと、不思議に顔が緩み、酸素を体の深いところまで吸い込めるような気がした。
  •  金子氏が小川町で有機農法を始めた40年前、周囲の反応は厳しかったという。完全な無農薬を実施すると、周囲の田畑に害虫や病気の被害が広がることもあるからだ。それでも諦めずにコツコツと続け、今では町全体の取り組みとなった。「これはただの農法というより、”有機な生き方”という選択なのだと思います」と多田さんは言う。
    
     ”有機な生き方”とは一体何を意味しているのか。「作り手としての選択です」と多田さんは私に答えた。たとえばバイオ燃料は薬を使って生成するのが一般的で、この方法なら車のエンジンを改良なしに使えるが、グリセリンという副産物もできる。霜里農場で作っているSVO(Strait Vegetable Oil)は食用油
    から遠心分離機で不純物を抜いただけなので、エンジンを改造しないと使えない。でも、それが金子氏の選択なのだ。余計なものを加えない、使わない。地域単位の自給自足を目指す。それは作り手としての選択を越えて、ひとつの生き方の選択だ、と多田さんは言った。
    
     それでは、多田さんも”有機な生き方”を選択したということか、と私は問うた。「そういうことではありません。有機と一言で言っても人によって違うし、今はまだ方法が確立しているとは言えません。こういう自然任せのやり方が本当に地域コミュニティの活性と自立につながるのか、頭ではまだ納得していません。私はただ、自分の生き方を見つけたいんです」。
    
  •  環境問題や食料危機を前にして、世界はあらゆる意味で変革を求められている。そのキーとなるのはきっと、農と食であるに違いない。増増加する人口やバイオ燃料源として、一層の大規模農業が必要だと謳われる一方で、有機農法で小さな自給自足をする地域集落を増やすことが一番の解決策だと言う人もいる。農のあり方は今、対局の軸に向かって大きく引き裂かれようとしている。
    
     その現実を前にして、「生き方を見つけたい」と言う多田さんが、霜里農場に足を運ぶ理由は何なのか。そう聞く私に多田さんは、直感としか言いようがない、と答えた。全く方向性は違うが、技術畑でエンジニアとしてずっとモノづくりに携わってきた。そしてずっと
    「自分のことは自分で」という言葉を信条としてきた。確かに地域の自立という方法でなくても逼迫する問題を解決できるかもしれないが、循環型社会の「自給自足」というあり方に、自分は「共感」するのだ、と。「生き方の選択というのは、心が動くかどうかということ。先ほど私は、頭では納得していないと言いましたが、”有機な生き方”に心を動かされています。そして個の自立、コミュニティの自立が時代の流れだという確信があるんです」。いろんな方向に共感して第一次産業と都市の結びつきを変え、皆がその恩恵を受けられる道を探すのがアグリキュレーターの仕事だと思う、と多田さんは言った。そして、自分の共感と同じ道を志す人の職業になればもっといい、と。
    
  • 帰りの車中、東京という大都会に向けて少しずつ変わっていく車窓を見ながら、私は多田さんの言葉と霜里農場の景色を思い起こした。
    
     今はまだ模索中だという多田さんの「見つけたいもの」が、あの美しい有機の里に、あるのだろうか。