現在「真の農業革命」と言われる動きがある。それは「植物工場」の開発だ。
形態には細かい違いがあるが、今注目されているのは、完全に閉鎖された小さな空間で、土の代わりに培養水を使い、人工光で温度や湿度を完全制御して野菜を栽培するタイプだ。これは18世紀にイギリスで起きた農業革命を超える、農業の大転換だと言われている。

 2012年6月1日に行われた植物工場スマートアグリというイベントで、植物工場を推進する大阪府立大植物工場研究センター副センター長の村瀬治比古氏による講演があった。その内容に、植物工場がもたらすと言われている恩恵の概要が見てとれる。曰く、
「世界人口が70億を超えた今、農作物の増産が求められているが、自然条件が整わなかったり環境保全のため保護の対象にされているなど、これ以上大きな農地への転用は見込めない。ここで、省スペースでどこでも農産物を栽培可能な植物工場にスポ
ットがあたっている。
植物工場が軌道に乗れば、安定的に農産物を供給できるばかりでなく、ソーラー・地熱・風力発電などの低コストエネルギー技術を加え、その運用ノウハウもセットにして売りだせば、日本にとって世界市場で勝ち残れる大きなビジネスチャンスになる。
運用をマニュアル化すれば障害者雇用などの社会貢献にもなり、原発事故以来続いている世界視野で見た日本への風評被害への対策にもなる。」
同じく注目を浴びている農業のIT化(IT技術を使って遠隔地から野菜の生産環境を操作する等)を使えば、農業従事者減少などの問題にも対処できる。まさに、今農業が抱えている様々な問題を一気に解決できる、夢の技術となる可能性がある。現在はまだ導入に大きなコストがかかるが、量産化されれば安価になり一般に普及するだろう。
身近なところではコンビニやレストランでの導入が見込まれており、輸送に大きなコ
ストがかかる離島などでは、すでにコスト的に植物工場のほうが割安である場合もある。

 農をめぐる新たな動きの一角を担う人材派遣会社パソナは、グループ会社に「パソナ農援隊」を従えているのだが、ここでも植物工場は注目を集めている。
AgriーMBAという農業ビジネススクールで異業種からの農への参入を支援する一方で、チャレンジファームでは農業ベンチャー支援制度を作るなど、「農に経営の概念を持ち込む」をキーワードに自立的な農業従事者を増やすことを試みている。
このプロジェクトで、完全管理下でどこでも再現できる植物工場は、新しい農業の一形態として重要視されているのだろう。
それを体現するかのように、大手町にある本社ビルそのものを「アーバンファーム」という展示場にし、完全閉鎖型や半閉鎖型など、土のかわりに水を使った野菜の栽培を屋内で実演している。

ここは一般にも見学が解放されていて、なかで採れた野菜を使ったランチを食べることもできる。私は実際の栽培現場とその野菜の味に興味を持って、多田さんとともにパソナを訪れることにした。

 まずはパソナ社屋の外観に圧倒された。ビル全体が緑に包まれたような、一見するだけで癒される風貌。中に入ると、壁や
天井を這う様々な野菜の葉や茎に驚き、建物全体に流れる水音にまた驚き、ホールの中央で栽培されるスイカ(以前は稲作が行われていた)にさらに驚かされる。
そして半ビュッフェ形式のランチで、社内にある植物工場で作られた野菜を食べた。
その味は、実に不思議なものだった。蛋白でアクがなく、歯ごたえも少なく柔らかい。食べやすいとも言える。病院食や老人ホームでの需要も見込まれているそうだ。
しかし、今まで食べてきた野菜とは、明らかに違う。例えていうなら、想像だが「宇宙食」のような味だ。いかにも水で作った野菜という味なのだった。これなら均一に作れるのも納得できる。だが、これが将来広く食べられる野菜の味になる……
と想像すると、若干の違和感が喉につかえた。

 ところで植物工場とは対極的なイメージがある有機農法について、前回の記事「みつけたいもの」でも紹介したが、これは人々が多く住む場所にある都市農地で、農薬を使わず野菜栽培ができるなど、いわゆる有機野菜のイメージを超えた動きへと活躍の幅を広げている。地域活性などの点を見ても、植物工場と並んで依然注目を集める農法である。
その味の違いを実際に体験するために、大手町の隣である丸の内にある、有機野菜の老舗「大地を守る会」が経営する「Daichi&Keats」というレストランへ野菜を食べに行った。
これは私の主観でしかないが、美味しかった。直感的に舌が求める味とでも言えばいいか。絶妙な歯ごたえ、アクよりも甘みが際立ち、皮まで美味しく食べられる野菜。生きがいいという言葉がぴったりくる。
肥沃な土ですくすくと育った、土そのもののような味がするのだった。

 私は複雑な気持ちになった。植物工場のほうが、世界規模でみれば人類を救う有効な手立てのような気がしてならない。しかし、どうしても舌は肥沃な土で育った野菜を求めてしまう。有機野菜といえば、高価で裕福な人の口にしか入らないという印象を持っている。
その味を求めることに、僅かなやましさを感じずにはいられないのだった。
その気持ちを、一緒に取材してまわった多田さんに直接ぶつけてみた。

 すると「食料供給や経済効果を優先して食の問題を考えていいのだろうか」と多田さんは逆に私に聞き返した。
便利さや低価格を追求した食品は、流通や加工、販売と分業が進んだ結果、どういう経路で食卓へのぼるのかが見えなくなってしまっている。その過程で、食品添加物が増えたり、作物から栄養価が失われていったり、食の質が落ちてしまっている。
そこには大企業が食の現場、農の現場を支配していることも関係している。
大量に安価な農産物を作るために、新たな農薬や新たな種、遺伝子組み換え食物など、安全性を度外視したものを世界中に普及させないとも限らない。
植物工場の開発にも、すでに大企業の手が入り込んでいる。
小さな工場で水から作る野菜が、本当に滋養に満ちたものなのか?有機物と土中の微生物によってもたらされるミネラル分などを、本当に植物工場が代替できるのか?

 「私はアグリキュレーターとして、植物工場は選びません。食の選択は生き方の選択でもある。有機という生き方は、真の自立を選択したということです。そこにこそ未来がある。私はそう確信しています」

 多田さんはそう、言い切った。
有機がどう全ての人を幸せにするのか?
多田さんは、これから一つずつその疑問に答えていく、と言った。
    (文:松下祥子 写真:竹下雅哉)