日本にはモノづくりが必要だ。そういう信念のもと、私はメーカーに就職しました。
当時の私は高い志と期待に胸を膨らませたひとりの若者でした。何かを作ることで、日本を支えられると思っていました。
でもそこで教わったのは、私が考えていたモノづくりではなく、”原点は農業に在り”ということでした。
眼から鱗が落ちる、というよりは、意表を突かれてはっと立ち止まる思いでした。
当時、私の就職した会社では契約農場つきの研修所を持っていて、開墾、種まき、草取り、収穫などの季節のイベントごとに、お手伝い程度の農作業も行っていました。
その時に私は、天候などの自然条件に左右されながら、一発に賭けて勝負するという”モノづくりの原点”を体験して、これはすごいことだな、と思ったんです。
最初はみんな、そういうモノづくりをしていたんだ、と。
今、魚は切り身で存在していると本気で思っている子供がいると聞きました。
私たちメーカーの人間も、うっかりすると同じ状態になりかねない。
抜き差しならない自然との勝負、これこそが現代生活を創り上げる根本にあるのであり、ここを忘れてしまっては本当の意味でモノをつくっているとは言えないのではないか。
そう気づいたときから、「いつかは自分も農業を」という思いを抱き続けてきました。
50歳を過ぎて、そろそろ農業に手をつけたいと思ったとき受講した農業ビジネススクールで、農業のおかれた厳しさと、そこにあるビジネスチャンスについても学んだ私は、メーカーでの生産技術や経営管理のスキルを活かし、農業を起点とした日本の地域活性化ビジネスを立ち上げようと決意しました。
それが「アグリキュレーター」という仕事です。と言っても、まだピンとこない方ばかりかもしれません。
2011年3月の東日本大震災のことも、私の心に大きく影響しました。
いままでの仕事では、自分の周辺にのみしか目が届かず、阪神淡路大震災、信越地震などの大災害があったときにも、何も貢献できなかった。
その事への後悔の念もあり、特に東北地方の一次産業をベースとした復興のお手伝いも、極力現場に近いところでやりたい。そう思っています。
被災地の復興も、日本の一次産業の活性化も、まだまだ長い上り坂の途上にあります。
そのなかで私が、何をするのか。
私のアクションひとつひとつが、「アグリキュレーター」という職の形を作っていくことになると思います。
さて、その第一歩を私はどう踏み出すか。
皆さん、是非私の行く道を見ていてください。
このブログで、その一端を紹介していくつもりです。
自分の志を貫く責任の重さを感じながら、私も歩みだします。
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